March 02, 2015  Categoyr: └ ISRAEL ( イスラエル )

パレスチナ自治区と芸術テロリスト「バンクシー」

パレスチナ自治区

この日はkazu君とバスに乗り、
エルサレムから南に約10キロのベツレヘムへ!
カトリック幼稚園に行っていた私は、幼少期の頃からその名を耳していた。
そう、ベツレヘムとは、「イエス生誕の地」なのです!


  

ベツレヘムはパレスチナ自治区の中にある街。
バスは分離壁の検問所をくぐり抜けて内部に入ります。
行きは特にチェックもなく、サラッと入れたな。
帰りは全員がバスを下ろされ、パスポート提示と荷物チェックを求められました。


さて、ここにやってきた一番の目的は、「バンクシー」の壁画アートを見て回ること!

バンクシーとは、生年月日未公表のミステリアスな覆面芸術家。
世界各地で社会風刺的なグラフィティアート、ストリートアートを、
無許可でゲリラ的に描いてまわるという活動をしており、
一部の人々からは「芸術テロリスト」と呼ばれているそうです!

といっても、彼のこと、知らなかったんですけど★
kazu君が調べてくれたのでした(笑)

  

そんなわけで!!!

「バンクシーの壁画が見たい!」とタクシーを拾って連れてこられたのが、

  

パレスチナ自治区 壁 アート

こちらっ!!

イスラエルとパレスチナ自治区の分離壁。

  

パレスチナ自治区 壁 アート


パレスチナ自治区 壁 アート

延々とどこまでも、壁画が描かれています。
ほぼ全て、風刺的なものやパレスチナの自由を願う作品ばかり。

  

パレスチナ自治区 壁 アート

そして、どれもハイクオリティ!!

  

・・・で、えっとぉ。

どれがバンクシーの絵なんだっけ!?←オイ(笑)

  

パレスチナ自治区 バンクシー

この分離壁の前にバンクシーショップがあるので、こちらのポスターを写メ写メっと。

  

で、お店の人に聞くと、この絵たちは各地にちらばっているらしく、
バンクシーの絵を見て回るにはタクシーをチャーターしなければ!

て事で、先ほど拾ったタクシーに値段交渉。
あまり英語が通じないし、バンクシーショップのおじちゃんとグルで応戦してくるから、
なかなか値段が下がらない(><)
それでも、私の※値引ぎり交渉術その1「フレンド作戦」を駆使して、
なんとか値切り成功!?


※値引ぎり交渉術その1「フレンド作戦」とは

  

ついついヒートアップしてしまい、時にはイライラ、ケンカ腰になりがちな!?値段交渉。
だいたい観光客プライスでぼったくってくるし、相手は何倍もの値段をふっかけてくるしで、
値段交渉はとっても精神が疲労する時間です。

できればスムーズにまけてもらいたい!
で編み出したイライラの真逆をいく戦法!

交渉も大詰めの時に、
「マイフレーンドヽ(*′ω`)ノ゙」と、ニコニコ笑顔でこちらから握手の手を差し出したり肩を抱いて、
「ね、フレンド、お願いっ!マイフレ〜ンドPq゚v`◆)」
と相手の心情に訴えながら、最終的なこちらの言い値に近づける♪
北風と太陽の太陽側。
よしゃっ、その値段でOK!って気分にさせる作戦。
これがマイフレンド詐欺、いやいやマイフレンド交渉術なのです!(笑)

値切りで喧嘩するより成功率5割増し!

ちなみに、アジアや中東諸国などで?
店先から、「フレーンド」とやたら声をかけられたり、
購入する際に「フレンド!」と勝手に友達にされる事が多く、
そこから考案したフレンド返し!

kazu君もなるほど〜と舌を巻く、平和な値引き術なのでした♪
是非お試しあれ。

  

わ、どうでもいい話を随分と引っ張っちゃった(笑)

  

そんなこんなで、タクシーに乗り込みバンクシーアート巡り出発!

  

パレスチナ自治区 バンクシー アーティスト

女の子が風船を持っている絵。

  

パレスチナ自治区 バンクシー アーティスト

女の子が兵士をボディチェック?している絵。

  

パレスチナ自治区 バンクシー アーティスト

防弾チョッキを着た平和の象徴ハトが、銃でロックオンされている絵。

  

本当に街のあちこちに散らばっていて、
しかも、こんなところに!?という見られにくい場所にさりげなく描かれている。
これは、個人では回れないな。タクシーをチャーターしないと無理!

  

そしてラストが、
タクシーの運転手さんもよく場所を知らなくて、聞いてまわってようやく辿り着いた、
分離壁からはるか離れた場所にある、一番有名と言われるバンクシーの絵。

ガソリンスタンドの一角の裏手にまわると現れる、

  

パレスチナ自治区 バンクシー アーティスト

この絵!
爆弾の代わりに花束を投げている。

  

彼が2005年にヨルダン川西岸地区のパレスチナ側の分離壁に、9つの絵を残した際には、
「イスラエルの治安部隊は空に向けて発砲で威嚇をし、かなりの銃が彼を狙っていた」
との事。

剣を筆に変えて戦っていたのでしょうか。
ひとつひとつにメッセージが込められている絵。
ガイドさんに説明を聞きながら回ると、もっと興味深かっただろうなぁ。

2014年にはガザ地区で、4つのグラフィティアートを残したそうです。


バンクシー巡りはとりあえず終了。
次は街中にある、イエスの生誕の地を見に行こう!!

  

ところが、

  

完璧に見えたフレンド戦法に、まさか落とし穴が!!!

  

せっかく値切って喜んでいたというのに、
タクシーの運転手、
「ワンウェイって言ったからね、ここで終わりだよ。」
なんと、帰路は乗せてくれないという。
フレンド戦法、もう通用せず(笑)←ダメじゃん★

こんな街の外れのどこだか分かんない場所に下ろされて、私たち一体どうすりゃいいのーーーヽ(≧Д≦)ノ!?

  

ガソリンスタンドの人に、目の前の道からミニバスを拾えるから、と教わり、
なんとかミニバスを捕まえて、無事に街の中心部に辿り着いたのでした。

  

まずはとりあえず、聖誕教会を目指して直行。

  

ベツレヘム 聖誕教会

到着!

  

ベツレヘム 聖誕教会

教会内部に入ってみます。

  

中は人で溢れ返っていました。
ここもまた、多くのクリスチャンが訪れる場所。

  

ベツレヘム 聖誕教会

内部は補修作業で工事中。
地下へ続く階段の入り口。

  

ベツレヘム 聖誕教会


ベツレヘム 聖誕教会

ここがイエスが生まれた洞窟です。

  

幼稚園の頃、ヨセフとマリアがイエスを生むまでの劇をやった記憶が。
主役のマリア様は花形!
誰もが憧れる最高のポジション!!
マリア様に選ばれた女の子には、きっと周囲から羨望と嫉妬の眼差しが注がれていたはず!!
もちろん私は、詳細は覚えていないけれど、○○Aとかそんな端役だったと思われます(笑)
小さく無垢な子どもが、初めて下克上の世界に直面し、シビアな現実を知った瞬間だったかもしれません★
だって、記憶に残っているくらいですから!

ところが最近の保育園や幼稚園は、
例えば白雪姫だったら、女の子みんな白雪姫の役だったり、
みーんなお姫様や主役で、しっちゃかめっちゃかだそうじゃないですか!!!

ちょっぴり羨ましいぞ・・・(笑)

  

ベツレヘム 聖誕教会

学生の団体さんみたいな子たちもゾロゾロと!

  

ベツレヘム 聖誕教会

聖誕教会見学を終えて、

  

ベツレヘム 観光

軽いランチで腹ごしらえ。
噂には聞いていたけれど、イスラエルよりちょっぴり物価が安いパレスチナ自治区!

  

レストランを出てお散歩。

  

パレスチナ自治区 ベツレへム


パレスチナ自治区 ベツレへム


パレスチナ自治区 ベツレへム


パレスチナ自治区 ベツレへム

バンクシー巡りでタクシーから見た街は、閑散とした印象を受けましたが、
エルサレムへ戻るバス停を目指す道は、徐々に人気も増え、
活気があり賑やかに。


つい最近、2002年には、ここベツレヘムにイスラエル兵が押し寄せ、
動くものあらばすぐ銃殺、約300人が殺害されたそうです。

  

たった1枚分離壁を隔てた向こう側とこちら側は、決して交わることのない別世界。
私たち外国人はものの数分で行き来できるこの壁が、多くのパレスチナ人にとっては超えられない壁。
分離壁を超えてイスラエル領内に入るためには、イスラエル政府が発行する許可証が必要で、
医療や国際機関等の特殊な職業に就いているか、30歳以上であることが条件。

日本人の私たちからは、想像もつかない世界。
この事を知ると、さらに壁に描かれた終わりないアートが、
パレスチナ人たちの魂の叫びに見える。

どっちが善で悪、とかそんな単純なことじゃなくて、
それぞれが正義を主張するのが戦争で、
イスラエル・パレスチナ問題は、色んな色んな複雑な要因が絡んでいて。

  

パレスチナ自治区 ベツレへム

とても魅力的で、とても悲しいこの国を訪れた事で、
もっと知りたい。
そんな欲求が私の中に生まれたのでした。


知らなかった事だらけだったので、ちょっと調べて頑張ってまとめてみた、
↓イスラエル・パレスチナ問題の事の発端↓

  

おおもとは、3000年以上も昔。
ユダヤ人が神の命にしたがいパレスチナを目指し、
既にそこに住んでいた民族と戦って勝利し、「ヘブライ王国」を建国。
この地に住み始める。

紀元前1世紀頃、大きな領土を作り上げたローマ帝国にパレスチナの地を支配される。
神殿は破壊され、ユダヤ教徒たちはエルサレムに住むことを禁止され、各地に離散していく。

7世紀ごろ、アラビア半島から勢力を増したイスラムが押し寄せ、
エジプトやシリア、パレスチナ地方を奪い取られてしまう。
その頃から、アラブ人たちが1000年以上このパレスチナに住む事になる。

第一次世界大戦中のイギリスの二重外交が、イスラエル・パレスチナ問題の事の発端。
オスマン帝国を倒すために、
アラブ人には戦争協力を条件に独立を約束。
ユダヤ人には戦争の資金提供を求めて、パレスチナへの復帰・建国を支持することを約束。

戦後、約束通り、各地に散らばっていたユダヤ人が続々とパレスチナに移住開始。
もちろん、この地に長く暮らしてきたアラブ人(パレスチナ人)と対立。

  

つまり、戦争に協力させるために、イギリスがアラブ人にもユダヤ人にも良い顔をした、
この二枚舌外交こそが、イスラエル・パレスチナ問題の根源。
それから4度に渡る中東戦争。
そこには米ソの冷戦が絡み、さらに事は複雑に。
ソ連はアラブに、アメリカはイスラエルに軍事支援を与える。
イスラエルとパレスチナの対立は、周辺諸国の利権や思惑により勃発、激化した、という事だったのです。

歴史と宗教に翻弄されてきた、二つの小さな国の対立。

  

(詳しい方、なんかこれ違うよーっていうのがあったら、
すぐにお知らせくださーい!!!)

  

さて、次回は!
お待ちかね?ピンチシリーズ!!
私、この国を出られない・・・(T∇T)

  

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